これからのフットサル

フットサルマガジンpivo!を久々に読んでいると、まず、pivo!の厚さと中身の充実振りに、嬉しさを覚える。最初の頃と比べると、何て差なんだ!喜ばしい。
あと、読んでいると、フットサルにこれから新しい変化が起こりつつあることを感じる・・・。必読ですね。うん。

言葉とユートピアin Dance in cinema

 昨日、仕事帰り、六本木のORIBE HALLで開催中の「Dance in cinema」に行く。
 蓮実重彦の講演もあり、春のようなうきうきな気分で地下鉄に乗る。
 蓮実重彦は、名前も名乗らず、すぐに語り出した。ああ、この感じは、大学の授業の始まりに同じ・・・、もしくは、この「言葉とユートピア」の主人公さながらの説教と似ている。
 西鶴一代女の話までは楽しく聞いていたが、次第に眠気に襲われる。ああ、この感じも、学生に戻ったようだzzz。春の予感は当たっていたようだ。

 映画は本当に素晴らしかった。
 説教のシーンで、主人公が熱く語りかける時は、そのスクリーン上は彼の立ち姿とその後ろの教会のカーテンもしくは白い壁しか映らない。それは、彼の説教を見上げてしんとして聞く一人の信者の視線であり、それはわたしの視線にもなり、わたしは思わずスクリーンを見上げていた。彼の説教のある教会は、美しく、そこはいつも信者にあふれ、入り口からあふれんばかりの人々がしんとして並んできいているのが、その教会の入り口とともにスクリーンいっぱいに映る。わたしも、一立ち見信者になる。気付くと、スクリーンの一番前の席の人々から一番後ろの席の人々も、彼の一立ち見信者になっている。わたしは、言葉の美しさにみとれる。深くその世界の中に入っていく。たとえ、絵の中の世界だとしても、その世界は、美しく、気高い。
 映画のなかには、必ず、入り口、出口、窓、光が映り、場面場面で、彼らが移動し、立ち止まり、出て行ったりするので、わたしはどこからでも入ったり、彼らを見つめようとしたりすることができるようになる。この映画の中で、わたしは自在になれた。海の上でさえ、甲板でも、岩山でも、わたしはどこにでもいることができた。素晴らしい世界だった。

 この映画を見終わったとき、写真のことを思った。