ロラン・バルト著『恋愛のディスクール・断章』より
P168
フェイディング現象
FADING
愛する人があらゆる接触から身を退いていくように思える苦痛の試練。しかもこの謎めいた冷淡さは、直接恋愛主体に向けられたものでなく、さりとて世間とか、ライバルとか、いわゆる第三者に対する好意の反映でもないのだ。
この章の話でよく、なるほど〜〜、と唸る。
たとえば、
P168
あの人にフェイディング現象が起ると、わたしは苦痛を覚える。そのようなことになる原因が思い当たらず、また、いつ終るとも知れぬことのように思えるからだ。まるで悲しい蜃気楼のように遠ざかり、無限の彼方へと退いてゆく人を追って、わたしはつかれはててしまう。
P171
フェイディング現象は、あの人の声について起るものである。愛する人の消失を実証し、読みとらせ、いわば完遂させることになるのは、その声なのだ。死ぬことこそが声の特性だからである。声を成立せしめているのは、その内にあって死すべきもの、そのことによってわたしを引き裂くものである。声とは、たちまちにして記憶と化すもの、それ以外にありようのないものと思える。
P172
フロイトはどうも電話が好きでなかったらしい。・・(略)おそらくフロイトは、電話が常に不協和音であること、そこから伝わってくるのが悪しき声、偽りのコミュニケーションであることを、感じ、予見していたのであろう。
この部分は、docomo,au,vodafone,TUKA,etcの会社の方々からすれば、恐ろしいマイナスイメージとなるなあ、などと、考えたり。そのイメージは続く。
P173
さらにまた電話に出ているあの人は、常に出発をひかえた状態にある。その声によって、その沈黙によって、あの人は二度立ち去るのだ。どちらが話す番だったか。二人ともどもにだまりこむ。二つの空虚のせめぎ合い。お別れします、電話の声は一秒毎にそう言っているのである。
電話、いまやTV電話もできる時代ですが、あんなに楽しそうにTV電話していますが、実は、孤独な道具なんですね。
P174
なんであれ「イメージ」を変質しかねないものは、すべて、わたしをおびえさせる。だからこそわたしは、あの人の疲れにおびえるのだ。疲労とは、あらゆるライバルの中でもっとも残酷なものなのである。疲労を相手にどう戦えというのか。
・・(略)
(登場人物が疲れている恋愛小説というのは、読んだことがない。私に「疲労」のことを語ってくれたのはブランショがはじめてであった。)