杉本博司写真展

杉本博司の写真展に行ってきました。
詳しくはHP
http://www.mori.art.museum/contents/sugimoto/index.html

とても面白い写真展で、写真としてだけではなく、知識をうえるのにもとてもいい勉強になりました。『ジオラマ』という自然博物館の中の動物たちの剥製を撮った写真は有名で知っていましたが、これを25歳の若さで撮り、自分のスタイルを持ちえたというのは、本当に職人のような写真家だ、と感じました。自分でカメラを製作してしまうという話も、またしかり・・・。
写真の美しさも際立っていますが、何よりも、その展示方法に、目を奪われてしまいます。特に、『海景』シリーズは、振り返ってみたり、遠くから眺めたり、斜めからみたり、その空間にたたずんでしまいました。杉本博司の写真は、いろいろ考えさせられます。彼は、写真を撮るたびごとに実験を繰り返しています。その実験は、写真となりあらわれているわけですから、その写真に宿る結果に、何も思いがめぐらないわけはありません。

ジオラマ』に関しては、自然博物館をまわって、その剥製たちを見た時、現実とうつろになり重なって生きているように感じ、カメラを向けたそうですが、確かに写真に写る剥製たちは、自然の中で生きていた姿が写真の中に入りこんだため死んでしまっているが永遠に持続しつづける過去となっています。そこにたしかにいたかのように。もし、彼の手に撮られず、そこと同じ場所を撮った一枚が教科書の中に入り込んでいたら、それは果たして彼の撮ったもののように、生きていたかのように持続していたか。撮る対象は、また写真は、目的により、見せる姿を変えてしまう。写真は真実を伝えるのみである。

『海景』では、空と海が一本引かれた地平線により分かれて、波が様々な形を成し、モノクロの静けさの中で、溶けていたり、ぼやけていたり、はっきりと存在を示していたり、波の上に光が乗っていたり、無常の世界が広がっていました。彼はここで、古代の人間が見た海を写真に写せるか、という実験を試みています。このシリーズで目をひくのは、写真の手前にある桧舞台です。それを見た時、古代の高貴な人物が(イメージ的には京から飛ばされた光源氏が出てきた)、孤独に
さいなまれながらも、穏やかで威厳のある海を強くあろうとして眺めている絵が、絵巻物のようにあらわれました。その舞台の下からその海を眺める私にとって、そこははるかに遠い場所で、踏み込めない聖域なのだと感じ、イメージは神社の景色と重なり、その床の立ち居地によって変わる幾重にも重なって見える足や影の姿に神の領域と無常感と静かで厳かな力が腕に伝わり鳥肌が立ちました。この桧舞台は、HPをみると、どうやら、森美術館2周年記念・「杉本博司」展特別公演
能 「鷹姫」の舞台にもなるようです。以下引用。

今回、この演目は森美術館で開催中の「杉本博司」展会場内、特設檜舞台にて上演されます。壁面には杉本の代表作である世界中の「海景」20点が展示され、その海に囲まれた絶海の孤島と化した舞台が浮いているという見立てになっています。観世銕之丞(老人)、浅見真州(鷹姫)、野村萬斎(空賦麟)という当代の名手によるこの特別公演「鷹姫」をご堪能ください。

つぎに、千人観音の写真を見ましたが、まず、そのモノクロの写真がモノクロに見えない・・。カラーで何故撮らなかったのだろうとも思いましたが、モノクロのもつ、影の深さ、浅さ、光の鋭さ、柔らかさ、それが観音たちの神神しい美しさに重なり、それが現実の色のように感じました。後ろのほうにいる小さく写る観音様の顔も光っていて怖い・・。

他にも、いろいろ感じたり考えたり、本当に楽しかったです。もう書くのが疲れたので、終わりにしますが、他にも本当に楽しい展示・写真が一杯で(100枚あるそうです)、是非行ってきて欲しい写真展です。